山梨へ帰郷した。
いつも帰省は憂鬱が先行する。
というのも、
家族は、僕が地元を離れていったことに内心では反対していて、
無理に今の状況を迎合しているというのが、ひしひしと伝わってくるからだ。
(実際のところ痴呆となった祖母に関しては、遠慮なくその手の不満を僕に
直訴してくる)
帰省の際にはほとんど毎回、友人家の温泉旅館へ行き、
露天風呂に入らせてもらう。そして憂鬱な時間の穴埋めをする。
友人の旅館はとても大きい。
そこには青臭い懐かしい思い出がいくつもあるので、時間を忘れて長居してしまい
中央道の往来と、段々と夜に掴まれてゆく空を眺めて一日が終わる。
帰郷という行為に 無理矢理に 意味を持たせる感覚
歳を重ねるたびに罪の意識が増していく。
この感覚はこの先ずっと続くのだろうそして僕は、
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帰郷のタイミングにはエドワード・ホッパーの画が心の内に描写される
汽車のコンパートメントに腰掛けた女性は俯き加減に読書しているか眠りの中なのか
車窓奥に僅かに見える夕暮れの景色が、潜在意識の山梨に合致する
何れにも帰属しない孤独な客席で人物は忘我しているようで
窓の景色が複雑に対置され強調される
本当に帰属するものは何処だろう 思いあぐねて何年も経つ
無いのなら無いと潔く言って欲しい
斜めからの視点設定で、血縁は行方不明になる
東京に戻ってすぐに、近県の小さな温泉街へ小旅行を果たす
鶴巻温泉という場所
小田急線沿い、箱根の手前にひっそりと在る。
将棋の対局が催されることが多いという人気旅館の
一番の離れに部屋を用意してもらい、静か過ぎる時間に気持ちがふわつく。
夕・夜・朝と3度風呂に入るも、毎時貸切状態で運がよかった。
GWだというのに人でごった返すこともなく、自宅からも電車で2時間とかからない。
本当に何も無くても、静かで人が少ないところがよいという意見に対して
同意してくれる相手というのは貴い。
実家滞在と相反して、単純に清々しく心地よい時間。
輪郭が整然としていく実感があった。
余談ではない余談として、青山真治のホテル・クロニクルズを
この機会に読む。
いまも、これまでも、これからも東京と山梨と様々な場所を往復するときに
想起したり整理したり言葉を捜したり、苦悩して考えるだろうことを、
ホテル・クロニクルズ(と、そこに当然描かれる中上健次)によって筆圧高く
書き連ねられており、もう何も言いたくなくなってしまった。
end